REBECCAの「 フレンズ」を聴いて 

ユーチュブをさ迷っていたら、REBECCAの「フレンズ」という曲に出会った。

年甲斐もなく、涙が溢(あふ)れてきてどうしょうもない。続けて、十回くらい

聴いてしまった。

私が観て聴いたのは、1985年12月25日、渋谷公会堂でのライブ演奏。

曲は勿論だが、絶叫して歌うボーカルが、いい。

胸を打つ。

そして、詩が、またいい。

出だしの部分。

「口づけをかわした日は、ママの顔さえも見れなかった」

何度も聴いているうちに、この冒頭の歌詞について、考え込んでしまった。

作者は十代後半から、二十代の女性。等身大の歌詞と思われる。もし、作者が

三十代、四十代の女性なら、ちょっと昔を振り返って書いたということに

なるだろう。でも、これが、五十代、六十代の女性だったら、どうだろう。

それ、ホント? 多分に、創作があるんじゃないの? と、言われるかも知れない。

「指をつないだら、OH,フレンズ、時が止まる気がした」

そんなの、本当に憶えている? と、チャチャを入れたくなる。

さらに、これが男性の作詞だったらどうだろう。所謂、プロの作詞家の書いた詩。

「若い女性の心をうまく摑んでいるわね。でも、何か気に入らないわ。女のコの

純な気持ちを弄んでいるわよ」

 と、女性陣としては、皮肉のひとつも言いたくなるのではなかろうか。

 太宰治に『女生徒』という小説がある。

私小説の体裁をとり、いまにも壊れそうな女生徒の心情が活写されている。

 女生徒は、ジャピイという犬を飼っている。

『 「ジャピイ」と呼んだ。

 ジャピイは、玄関のはうから、気取って走って来た。急に、歯ぎしりするほど

ジャピイを可愛くなっちゃって、シッポを強く摑むと、ジャピイは私の手を柔らかく

噛んだ。涙が出そうな気持になって、頭を打(ぶ)ってやる。ジャピイは平気で、

井戸端の水を音をたてて呑む。』

よく、わかる。

「どだい、男には女性の細やかな心情なんて解らないんだよね。でも、オレには

解るの。だから、こうして、女性に成りすまして書いているの」

 そんな自慢気なところが見え隠れする。

 私は、高校生のときこの小説を読んだのだけと、読みながら、「これ、半分詐欺

じゃないの」と、思った。

 作品は出来上がれば、作者の手を離れるとよく言われるけど、必ずしもそうでは

ないはずだ。

 古典にもある。

「男もすなる日記というふものを、女もしてみむとて、するなり。」

 紀貫之の「土佐日記」。

 紀貫之はなぜ、女性に仮託したのだろう。

 高校の授業では、かな文学の確立のため、と習った。つまり、それまでは男性が
 
かな文字を主体としたものを書くことはなく、書くとしたらせいぜい和漢混合文だった。

 確かに、そのような高尚な目的もあったのだろうが、も少し現実的な意味合いも

あったのではなかろうか。

紀貫之は「土佐日記」を書いたとき、まだ現役の役人だったはず。現役の役人が

己の仕事に関することをペラペラ書き綴るのはさすがにまずいだろう。それに、娘を

亡くした男親の心情を、めそめそ書き綴るのも男の涸券(こけん)に関わる。女性に言

わせたら、子供を亡くした親の悲しみは男も女も変わりないでしょう、なのかも知れな

いが、そこはそれ、社会に出て仕事をしている身としては、世間体というものがある。

 えーい、ぃっそ、女に化けてやれ、ではなかったろうか。

 当時は、印刷技術があったわけではないので、紀貫之は、自分で書いた「土佐日記」の原本をまず、親しい友人に読ませたに違いない。そして、その原本には、作者の名前は記してない。

「オレ、今度こんなのを書いたんだけどさあ、本名を出すのは憚れるんで作者を女に

したよ」

 友人は、それを書き写すか、その本をまた次の友人に回す。

 狭い社交界であろうから、読む人は、作者の名前は記してなくとも、書いたのは紀貫

之だと知っている。

 作者が、娘を亡くした初老の男性と判っているから、なおさら読む人は感動したので

はなかろうか。

(ちなみに、紀貫之が書いた「土佐日記」の原本は遺っていない。遺っていないゆえ、

「土佐日記」に作者の名前が記してあったのか、不明、あるいは謎であるらしい。)

さて、REBECCAの「フレンズ」。

これは、やはりNOKKOが作詞して、NOKKOが歌う。それ以外に、ない。




大隅のヒレ男より

平成二十九年九月十五日