サンフラワーにて

 奈良まで、仏像を観に行こうと思った。(本当の目的は、大阪の住之江公園で、競艇をすることなのだが、一応見栄を張って仏像が目的と書くのだ。)

 志布志港から大阪の南港まで、毎日一便サンフラワーが出ている。出港は夕方の五時五十五分だが、私は三時までには志布志の待合室に着いていた。四時からカウンターで受付が始まって、その時刻あたりから、さんさんごご人が集まって来る。
 
 サンフラワーは、貨物運送が主なので、待合室に来る人たちは、徒歩乗船の人だけだ。乗客は案外少なく五、六十人というところか。ここに来る人たちは上流階級ではない。空港でたまさか見かけるような、高級スーツに身を 包んだ紳士や、上品なブラウスを完璧に着こなしたご婦人方は見られない。服装は日常の延長であり、あるいは仕事着そのままだったりする。

 改札が始まると、乗客は船体の前方側面にある 「秘密の扉」 みたいな入口から乗船する。見上げると、とてつもなく大きい。船体の長さが、百八十六メートルもあるという。

 中に入ると、すぐにエスカレーターがある。船の中にエスカレーターがあるなんて、童心に返った気分になる。

 二十数年まえにも、この船に乗ったことがあるのだが、そのときも、エスカレーターに乗ったのだろうか。ほとんど記憶にない。年を取るというのは、無残なものだ。

  さて、エスカレーターで、七階まで昇る。船の中で、七階まで昇るとは、豪華客船に乗った気分になる。(サンフラワーは貨物輸送が主だから、こう表現しても怒られることはないだろう。それに、私が乗ったサンフラワーさつまは、少し古いのだ。)

  八階にレストランがあって、そこからデッキに出ることが出来る。自分の部屋で少し休んで、八階のデッキに出てみると、船はもう志布志の外洋に出ていた。

  デッキから見る果てしない地平線。デッキを横切り陸地の方を見ると、青黒く横たわる宮崎の山脈。船の進行が生み出す白い波。それらを見ていると、なぜかワクワクしてくる。

 車で言えば、今までトップで生活していたのが、急にローかニュートラルに変わった気がしてくる。

 鴨長明は、「方丈記」で、「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」 と書いたけれど、ここの風景は、ここの海は、二十数年前と少しも変っていないい。

 私は、嗤い出したくなった。人間、己と余りに差のあるものと対峙したら、もう、嗤い出すしか手はないのだ。

 二 十数年前、同じこの船に乗ったとき、何を思ったのだろう。日記を書く習慣がないのが悔やまれる。いや、今思い返してみると、そうではない。二十、四五年前 までは、毎日ではないが、日記らしきものを書いていた。しかし、これから先、まさか二十年も生きられるとは到底考えられず、書きとめていた日記らしきもの はすべて焼いてしまった。私の死後、肉親が読んだら気分を害するようなことがたくさん書きとめてあったからだ。

 あのとき、 何を思ったのか。おそらく、バラ色の人生を夢見ていたのだろう。しかし、その後すぐに、私は肝臓癌であることを告げられた。若い担当医は平然とした顔で言った。

 「一応、悪性です」

 それから、幾度も手術をした。今でも、健康に自信がある訳ではないが、今思うと、あの医者の言った 「一応」 という言葉に、案外意味があったのかも知れない。

 コンチクショウメ!

 二十数年前、何を思ったか、今ではそんなことは、もう、どうでもいい。この変わらない風景がそう言っているのだ。
 
 住之江公園でボートが走るのを見て楽しみ、ささやかな金額を賭けて、楽しむことにしよう。



  大隅のヒレ男より 平成二九年七月二十三日