猫三匹
 
  猫を三匹飼っている。
 「吾輩は猫である。名前はまだ無い」と、漱石先生張りにはいかないので、三匹それぞれ立派な名前を付けている。しかし、昨今、個人情報がどうのこうのと、うるさい世の中なので、ここは仮名で記すことにしよう。

 最初に飼った猫は一子。これはまっ黒な毛並みで、仕事先の事務所で、朝まだきメエメエと鳴いていたのを拾ったのである。寒い冬の日だった。生後二か月くらいだったろうか。品のいい美少女だったが、今では恋多き美熟女になっている。十歳くらいの歳。

 二匹目の猫。一応、二郎としょう。これも得意先の工場に迷い込んだ捨て猫。毛の長い銀狐。拾ったときは、まだ一歳になっていなかったと思う。今七歳くらいか。

 捨てられたという記憶がどこかにあるのか、私以外の人には近づこうとしない。猫というのは、呼ばれても来ることはまずないのだが、この二郎は、呼べばやって来る。かと言って、特段愛想がいいという訳でもない。大食漢なので、呼ばれて行くと、何か食べ物にありつけると思っているようである。だから、私も十回に一遍くらいは、呼ばれてやって来たとき、特別に餌をやるようにしている。

 もう一匹は五歳くらい。三郎。これは友人の家に生まれたのを、貰ってくれと頼まれて飼いだした猫。三毛猫である。

 小さいときから人の手に触れているので、とても人懐っこい。その代り、人を人と思っていない節がある。

 三匹も飼っていると、餌代も嵩む。それで、一番安いキャットフードを与えている。それでは少々可哀想な気もするので、買う度に種類を変えている。

 「オレが株で一儲けするか、万馬券を当てたら、最上級のキャットフードを買ってやるからな」

 もう、このセリフを五、六年言い続けているので、さすがに自分でも忸怩たるものがある。それで、三、四ヶ月に一度は、銀のスプーンという少々高級なおやつを与えている。

 猫を飼い始めて、猫という動物は本質的には夜行性だということに気づいた。だから、これから猫を飼おうかと考えている人は、いくらか睡眠不足を覚悟しなければならない。

 私の場合、決まって夜中の一時カニ時の頃、先ず一子に起こされる。猫パンチを眠っている私の頭に見舞うのである。その前に、多分、優しく起そうとしたのかも知れないが、目が覚めるのはその猫パンチである。一回、二回は我慢出来ても、四、五分置きに、一子の望みを叶えない限り、それはいつまでも続く。

 彼女は何を言いたいのか?

 「窓を開けてよ。遊びに行きたいんだから」ということである。

 私は眠い目を擦り、体を起こし、窓を開けてやる。

 朝の四時か五時頃になると、枕元で三郎がニヤーニヤーと甘い声で鳴く。明け方、少し寒くなったので、布団に入れてくれということである。自分で布団の中に潜り込めばよさそうなものを、面倒なのか私を起す。

 私は布団をすこし上げて、三郎に入れる隙間をつくってやる。

 朝の六時頃になると、今度は窓の下で一子がニャー、ニャーと鳴く。帰って来たので、窓を開けてくれ、ということである。
 これには、私も直ぐには開けてやらない。

 「夜中にどこをほっつき歩いているんだ。お前の恋狂いも度が過ぎるぞ」

 などと、ぶつぶつ言いながら頭から布団を被る。

 しかし、猫は諦めるということを知らない。私が開けてやるまでは、それこそ永遠に鳴き続ける。

 もう、開けてやるしか、手はない。

 二郎は、まあ、だいたい大人しい。たいていは、夜中も私が座っていた座椅子で寝ている。

 しかし、二郎の場合、休日が問題だ。大食漢なので、こちらが朝寝坊しようものなら、七時頃には、ニャー、ニャーと喚きだす。

 休日、朝寝をしようと思ったとき起される。

 要するに、私は三匹の猫の召使である。

 「三匹の猫を飼っている」のではなく、「三匹の猫にこき使われている」のかも知れない。


 猫鳴きて恋の迷路春の宵


   大隅のヒレ男より