友人の死

 友人に胃癌が宣告されてのは、去年の六月末のことだった。

 まだ、ステージは判らないという。

 そのときは、私は深刻に受け止めていなかった。深刻に受け止めたくないという側面もあったが、私自身も癌を宣告されたことがあったし、周りにも何人か胃癌を克服した人がいたからだ。

 友人との電話でも、王監督のことが話題になった。

「王さんも胃癌だったよな。このまえ、テレビで見たけど、元気そうだったぞ」
「ああ。だいぶ、痩せてはいたけどね」

 私たちは、そんな会話を交わした。

 友人は即座に入院した。数日後、彼を見舞った。

 そのとき、奥さんが医者の診断書というか、説明書というか、とにかく、胃の図を描いたA4大の薄っぺらな紙を示し、病状を説明してくれた。

 その説明のなかに「浸潤性の胃癌」というのがあった。その言葉を聞いたとき、(イヤ)な気がした。胃の細胞が、癌細胞によって少しずつ少しずつ蝕まれていくような不吉な響きがある。

 悪い予感は当たった。

 友人は見舞いに行く度(たび)に衰弱していくようだった。

 暑い夏が過ぎ、

 秋が過ぎ、

 冬が過ぎ、

 短い春の終わり、三月六日、友人はあっけなく逝ってしまった。

 ここ十年だろうか。私と友人は、月曜から金曜の朝、ほとんど電話で話していた。

 なぜ、月曜から金曜かというと、株の相場が開かれるからである。

 私はときどき、デイトレをする。デイトレというのは、短時間のうちに、何度も売買を繰り返すトレード手法である。デイトレでも情報は必要だ。私は生来怠け者なので、朝も遅い。早朝発表される日経平均先物の値や専門家の予想は友人に訊く。友人は早起きで、朝早くからテレビを見ているので、その金額を覚えていて、私に教えてくれる。私は、前日の戦績を話す。友人はデイトレが出来ない。

 二十二歳のとき、自動車事故に遭い、下半身は麻痺している。両手も十分な動きが出来ない。数秒を争うデイトレは、やりたくても出来ないのだ。だから、友人の場合は、株の売買は長期にかぎられている。

 ほとんど、戦績は私が一方的に話すだけである。

 相当な損失を被ったことを報告すると、彼は、
 「パチンコに二、三度行って負けたと思えばいいが」
と言って、慰めてくれる。

 千円や二千円のわずかな利益のときは、
 「よかったなあ。とにかく、勝てばいいから」
と、心底喜んでくれる。

 友人には、妬みや嫉みの気持ちがない。

 友人は二十九のとき結婚している。奥さんは二つ下の可愛い人だ。

 結婚したとき、友人はすでに下半身麻痺していた。奥さんは健常者である。いろいろ葛藤があったはずだが、下半身麻痺の男性と結婚するというのは、これはもう天使である。

 私は彼の家に度々夕食に招かれていた。

 ある年、師走のころである。還暦を過ぎ、月日の経つのが早いと言うことが話題になった。
 「おい、もう師走だぞ。どうするんだ」

 私は、その年も何もいいことがなかったと嘆いたついでに、光陰の速さを嘆いた。

 「ああ。しかし、オレは月日が経つのはうれしいよ」
 「へーつ。なんで?」

 「暦が一枚めくられる度に、死が近づいてくるからね」

 私は、素知らぬ振りをして、奥さんの和風の手料理に舌鼓を打ち、早めに帰宅した。

 しかし、その夜はなかなか眠れなかった。友人のことを、いくらか理解しているつもりではいたが、それはまったくの錯誤であることを思い知らされた。私とは、別の世界に住んでいる。

 例えば、私が株をするとき、そこには欲望がからんでいる。ひと儲けして、ゴージャスな旅をして、豪邸に住み、美女を侍らせ、美酒を飲む。ほとんど、夢物語なのだが、万が一には、その夢は叶うかもしれないと思っている。

 しかし、友人にはその万が一の夢もない。すべての欲望から断絶している。一千万円損して、一千万円利を出すようなトレードをしても、それはゲームに過ぎない。

 妬みは嫉みというのは、他人の幸福を見聞きしたとき、まかり間違えば自分もその立場に立てるかもしれないという想像から起こる。

 友人にはその「まかり間違えば」がない。

 友人は絶望の淵を覗いているのだ。

 しかし、普段の友人は鷹揚で陽気だった。

 それは、親身に世話をしてくれる愛する人が傍にいてくれたからこそだろう。

 私は最近デイトレをしない。

 デイトレをしても、報告する友人もいないので、デイトレをしても面白くない。

 毎日が、寂しい。

 この寂しい気持ちは、いつになったらなくなるのだろう。

 

                     大隅のヒレ男より

                     平成二十九年十月七日